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  • 後払いは便利だが、使い方は難しい

    以前は後払いと聞けばクレジットカードやキャッシングなど後払いサービスがあったが、今では数千円から上限により何万円と借りられるような後払いがある。

    最近では動画のCMなどでも大切な日、家賃支払いなどで緊急を要するときにも便利であると謳われている。

    頭の計算では返済できるだろうと踏んで借りてしまう。日払いなんかせず、汗水垂らして間に合わせるより、お金を補填すればいい。

    後の給与から返済しても、生活水準を満たせれば問題ない。少額ならともかく、こうした落とし穴に気付かないまま自転車操業になってしまう人は多い。

    後払いに依存してしまう罠

    問題をどれだけ早く解決できるかが求められる現代において、「後から手に入る」のは遅すぎる。

    手に入るには物理的な物だけではない。他人からの評価を得るために物を購入することもあるだろう。

    または緊急で修繕して欲しい物があれば、お金を稼いでから得るのでは間に合わないかもしれない。

    後払いサービスがあると分割でできたりするし、期間があれば返済できそうである。

    だが、少し待って欲しい…。

    本当にそれはあなたが欲しかった「物」であるのか。

    なぜこのようなことを質問するのか。

    私も後払いは利用するし、便利だと思っているユーザだ。そして、利用して気付かないうちに後払いを使ううちに麻痺をしている。

    そして、一部の後払いには返済したあとに上限を引き上げることもできる。いわゆる返済実績というものだ。

    これに調子づくと今は良くても、翌月からの返済に困惑してしまう。それでいて辞められないから自転車操業になってしまう。これが依存する罠だと思う。

    普段使いは慎重に

    後払いサービスは便利だが、結局は借金である。多岐に渡る楽しみがある現代において精一杯稼いで欲しい物を買うのは時代遅れだ。

    とはいえ、前者か後者が良いかはその時々と状況に言えるので、線引きをしっかりしていないと返済地獄だけになる。

    ありきたりな締めになるが、普段から使うときは慎重にしなければいけない。

    もちろん、ビジネスなどで借金をした後に戻ってくるリターンが高い。その場を凌がなければどうにもならない。そういう緊急事態は別である。

    後払いは今後無くならないだろうが、個人が生活で利用するときには、リターンがあるのか一度止まって考えて欲しい

  • AIは果たして本当に人を便利なものにしたか

    AIは人を便利したのか、それとも代替して人の働く場所を奪ったのか未だ分からない。

    21世紀かつ令和の時代。AIの普及で恩恵を受けたのは一部の企業とAIの技術を身につけた方である。

    今井翔太氏の「生成AIで世界はこう変わる」にある通り、クリエイティブな部門では導入部分では利便性が高く、そこまで技術力が高くない人でもある一定の水準の作品まで仕上げてくれる。

    なら、AIは職業の代替をするのではないかと思うが、どうやら違うらしい。

    AIの近未来的な姿

    かなり前からになるが、AIに悩みを打ち明けられるアプリが続出している。

    私の職場でもストレスが溜まったときや相談相手がいないときは使うらしい。これを人に対して行うと、お互いの時間をすり合わせたり、聞く方は忍耐を要するかもしれない。

    しかし、AIは無機物だからどれだけ毒を吐かれても聞いてくれるし、寄り添ってくれる。アイデアも欲しいものはくれる。

    AIは魅力的なものである。まだまだ発展途上な市場だし、人間を超える部分もある。

    ここまで持ち上げてもAIには人間関係を補助する機能は完全にはない。

    人が「やりたい」ことに対する補助機能は優等生以上だ。

    クリエイトする側からすれば人が一生懸命考える時間を短縮できる。人も雇わなくていい。作業時間も効率化できる。

    ビジネスでも時間をかけていたプレゼン資料、データ収集等は人を雇うよりも早く、正確である。

    だから、AIは今している職業を奪うのではないか、代わられるのではないかと懸念が飛び交う。

    先程挙げた相談相手や言語学習として会話をサポート、駅構内で発するアナウンスなどもAIの向上で今まででは考えられなかったこともできる。

    飛躍的だが、AIは1つの家に1台はあるような近未来的な妄想もできる。

    人間関係は補助してくれない

    ここまで持ち上げるとAIは人間の補助役ないし、パートナーのような機能を持つ。

    昨今では人間以上を超えないように制限したり、谷岡悟一氏の「AI思考は武器になる」にて国によっては規制をかけている。

    それだけの脅威と効率性を生むことができるAIは人にとって無くてはならないのかもしれない。

    ところが、人間関係はAIに仲裁したり、補助のような機能はない。もちろん、ChatGPTなどで作成された文言をそのまま伝えればいいというわけではないだろう。

    AIは便利だが深いところのコミュニケーションではまだ足りないのかもしれない。

    期待されるAIによりこうして欲しいと願うのは人間の身勝手なところではあると思う。

  • モチベーションについて改めて考えてみる

    やる気は一定ではない。

    朝良くても、夜になると、ふとしたことで嫌気が差し、朝まで引きずったと思えばカラッと切り替わる。

    反対も然りだ。

    最近、朝は元気だったのに夕方になると萎んだように活力が消える。

    会社員になりたての頃はやる気=モチベーションを一定にするように睡眠、食事、運動に気を使っていた。

    それが今や寝不足でも会社に行き、出世をしたくないが、生活のためと割り切っている。

    もしくは次の日が仕事だからと酒や遊びを控えて制限してしまう。心あたりはないだろうか。

    私は基本的に仕事人間だし、上述したことは大抵当てはまる。言うなればプライベートを楽しむのが苦手な人間なようだ。

    だが、いくら仕事第一でもモチベーションが常にあるわけではない。

    モチベーションがないといけないは危険

    会社に1年程度でいれば一人前。今の時代は数年でベテランと呼ばれる。

    若い頃の私はモチベーションがないと会社に行けないようなダメ人間だった。

    新しい場所に行くときなどは周りのプレッシャーに負けないように気張るが、1日は乗り切れても次の日があると今まで蓄積で途切れてしまう。

    結果として会社を休む、もしくは限界が来たら退職をした経験がある。

    今ではそういったことはないが、継続していたことが一度プツリと切れると糸が切れたようにボロボロ崩れる可能性もゼロではない。

    逆境に強く、忙しくないと無気力になる人間に注意なのは閑散期に入ったときだ。暇を持て余したときもモチベーション維持が難しい。

    こうなると「モチベーションがなければやっていけない」という状態は結構危険なことかもしれない。

    モチベーションは他人への影響も出るし、パフォーマンスを高めるので、精神論を用いるときに利用されやすい。

    モチベーションを管理する重要性

    青砥瑞人氏の「BRAIN DRIVEN」にもモチベーションを上手く管理するための方法が書かれている。

    ストレスとクリエイティビティはモチベーションを語るうえでセットのようである。

    これを蔑ろにして「モチベーションを上げなければ」と単に自分を鼓舞するのはよろしくないと思う。

    前述した通り、気合で乗り切るのは短期間。私も心あたりがあり、耳が痛い話である。

    全体の士気を上げるためにモチベーションを上げるのは効果が高いだろう。

    モチベーションは身近なもので上がっているときはいいが、反動がきたときに対処をしないといけない両刃の剣である。

  • 奥行がない人がいるのはなぜかを考えた

    久しぶりに本を手に取った。

    Amazonで借りたものだが、自分の長い疑問が氷解した気分になった。せっかくなので紹介したい。

    「20歳の自分に伝えたい知的生活のすゝめ」

    齋藤孝氏の書いたものでタイトルの通り20歳前後の学生、若者向けだ。40代近くなる自分は当てはまらないだろうと思った。

    手に取ったキッカケは主に二つだ。

    1つは最近、職場での新人の出入りが多く、新人研修係の一人として任命されたときだ。自分よりも年上、年下関係なく教えている。どちらが良い悪いという話ではないが、若い人の言動が少し気になった。

    喋りは確かに言葉の端々に礼節を欠き、私が教えてるときは足を組むなどあるが、別に大したことではない。聞き分けがないのは上下関係ない。私は一端の会社員であるし、重要な位置にいない。ただ新人を教えるよう依頼された人間だ。

    ただメモ用紙に「マインドセット」とタイトルが書かれた文字が気になった。それと、私がミスを指摘したことに対し「CPUが一杯になり⋯」と頭が真っ白になったことを言っていた。

    何だか言葉ばかりが先行して中身が伴わない、失礼だが薄っぺらい感じがした。自分も20代はそんな感じだったのかもしれない。若者だけではない、年上でもそれを感じることはある。

    2つ目は批判している自分の中身も薄いのではないかと懸念していることだ。

    今では動画やSNSを見ればある程度の回答が得られるようになっている。そして、見よう見まねが上手いと相応らしい回答ができる。

    タイパを重視する現代からすればタスク処理を早く済ませるのが安全だ。処理だけを行い、想像力もなくこなすようになると興味を失ってしまう。

    偉人や尊敬する人物を模倣し、自分の中に落とし込むのは結構である。目指すべき指標がいると、方向性がブレにくいからだ。ただ形だけ真似をしても上手くはいかない。

    使い勝手のいい言葉をそれらしくなるのは時代は変わっても同じなのかもしれない。

    【まとめ】奥行がある人間になるには深く認識すること

    若者がどうのこうのと話をしたが、別に説教をしたいわけではなく、なぜ言葉ばかり良く聞こえ、薄っぺらく感じるのか。

    では、どのようにすれば厚みがある人間が出来上がるのか。

    齋藤氏の同著書では読書をすること、合わせて誰かにアウトプットするのを推奨している。

    「面白かった」

    「素晴らしかった」

    これだといけないらしく、他人に説明したり、議論ができるようになると血肉になり、人間的にも厚みを持つ。

    表面的なものだけ見ていないか、自己を省みて、自分も言葉だけいい言葉を使って中身がない人間になっていないか日々注意だ。