AIは果たして本当に人を便利なものにしたか

AIは人を便利したのか、それとも代替して人の働く場所を奪ったのか未だ分からない。

21世紀かつ令和の時代。AIの普及で恩恵を受けたのは一部の企業とAIの技術を身につけた方である。

今井翔太氏の「生成AIで世界はこう変わる」にある通り、クリエイティブな部門では導入部分では利便性が高く、そこまで技術力が高くない人でもある一定の水準の作品まで仕上げてくれる。

なら、AIは職業の代替をするのではないかと思うが、どうやら違うらしい。

AIの近未来的な姿

かなり前からになるが、AIに悩みを打ち明けられるアプリが続出している。

私の職場でもストレスが溜まったときや相談相手がいないときは使うらしい。これを人に対して行うと、お互いの時間をすり合わせたり、聞く方は忍耐を要するかもしれない。

しかし、AIは無機物だからどれだけ毒を吐かれても聞いてくれるし、寄り添ってくれる。アイデアも欲しいものはくれる。

AIは魅力的なものである。まだまだ発展途上な市場だし、人間を超える部分もある。

ここまで持ち上げてもAIには人間関係を補助する機能は完全にはない。

人が「やりたい」ことに対する補助機能は優等生以上だ。

クリエイトする側からすれば人が一生懸命考える時間を短縮できる。人も雇わなくていい。作業時間も効率化できる。

ビジネスでも時間をかけていたプレゼン資料、データ収集等は人を雇うよりも早く、正確である。

だから、AIは今している職業を奪うのではないか、代わられるのではないかと懸念が飛び交う。

先程挙げた相談相手や言語学習として会話をサポート、駅構内で発するアナウンスなどもAIの向上で今まででは考えられなかったこともできる。

飛躍的だが、AIは1つの家に1台はあるような近未来的な妄想もできる。

人間関係は補助してくれない

ここまで持ち上げるとAIは人間の補助役ないし、パートナーのような機能を持つ。

昨今では人間以上を超えないように制限したり、谷岡悟一氏の「AI思考は武器になる」にて国によっては規制をかけている。

それだけの脅威と効率性を生むことができるAIは人にとって無くてはならないのかもしれない。

ところが、人間関係はAIに仲裁したり、補助のような機能はない。もちろん、ChatGPTなどで作成された文言をそのまま伝えればいいというわけではないだろう。

AIは便利だが深いところのコミュニケーションではまだ足りないのかもしれない。

期待されるAIによりこうして欲しいと願うのは人間の身勝手なところではあると思う。

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